エジソンが指示した竹の選択


竹の素材選びに対して、エジソンは実に細い指示を与えています。

それは、

  〔1〕肥料の施していない竹。
  〔2〕8年から10年経た竹。
  〔3〕秋10月から12月にかけて収穫したもの。
  〔4〕根から1メートル上部12節を取る。
  〔5〕節と節の間隔は35センチから40センチのもの。
  〔6〕竹の内側の柔らかい部分をはがし。
  〔7〕1センチの幅にして100本の束にまとめて。

 日本では、昔から竹は秋中の名月に収穫すると良いといいますが、エジソン は6,000種類に及ぶ植物の科学的実験結果の、その竹の良さを知ることが出来ま した。

 当時、ニューヨーク留学中の東京大学助教授〔中野初子氏〕が、1890年、竹 の送り主を詳しく知る事が出来ました。

 その報告書によると、京都八幡地区から送られた竹の梱包には、墨で、マル 印の中に八幡の八の字を書き、乙訓、及び嵯峨野から送られた竹の包みには葉っ ぱの絵の中に「大野竹製造所」と印されていました。

 八幡地区からの送り主は不明であったが、83才の時でエジソンの亡くなる2 年前の事です。

 これは、(昭和4年)1929年「エジソン電灯発明50周年記念日」に、電気. 照明関係の団体が、竹フィラメント素材の事を直接エジソン研究所に問い合せた 所、(昭和5年)1930年2月20日消印のエジソン自らサインされた手紙の領収書 が確かめられた次のような返事が参りました。

 エジソンは、「モアを中国、日本へ派遣し、彼から送られた竹見本を試験し た結果、ある種の日本の竹がフィラメントとして最適と判明。

 この竹を栽培し、送るようにと指示した。竹の産地は京都の八幡村だったと 思う」と伝えています。


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