エジソンの言葉と人生


『天才とは99パーセントの努力と1パーセントのひらめき』エジソン自身の有 名なことばです。この言葉を実践したのが天才エジソン本人といえましよう。

 トーマス.アルパー.エジソンは、1847年2月11日アメリカ オハイヨー州 のミラン(マイラン)という田舎で生まれました。

 子供時代のエジソンは、何でも興味を持つ好奇心の塊りみたいな子供でした 。そのせいで小学校は3ヶ月でやめ、あとはお母さんに教育を受けます。エジソ ンの素質を見抜き、良い方向に導いたのは彼女の力でありました。

 13才頃よりエジソンはグランド.トランク鉄道でポート.ヒューロンそして ミシガンのデトロイト間で弁当売りと新聞売りをしていました。

 その後15才の時、彼は2流の印刷所を作り世界で初めて動いている汽車の中 で印刷された週刊誌「ヘラルド・ニスース」を発行しました。エジソンは発行者 、印刷業者そして配達者全てをなしとげました。知識を自力で吸収するたくまし い少年であったようです。ある^日、汽車にはね飛ばされそうになった駅長の息 子を助けたことで、この駅長から通信技術を学ぶ機会を得ます。
 当時としては電信技師は花形職業でしたが、エジソンはボストンで発明第1 号の電機投票記録機を作りますが、これは実用化されず“発明は人の役に立つも の”と、肝に命じるキッカケとなります。

 二ューョークに渡り23才で株式相場機を改良し、24才で印刷電信器、30才で 蓄音器、32才の時に白熱電球を発明しました。

 40才で世界初の総合研究所を作りますが、純粋科学と応用科学をきちんと分 けた研究所設立は現在の世界中の研究所の見本となりました。

 最後の発明であるゴムの合成はゴールデンロット(秋草)から成功、82才の 時でした。

 2年後の1931年10月18ロにエジソンは84才で亡くなりました。その死を悼ん でアメリカ全土では、いっせいに電灯を消して、1分間の黙祷を捧げたといいま す。


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